WANDS 1stシングル
1991年12月4日 リリース
概要
WANDSの1stシングル。
ドラマ『ホテルウーマン』挿入歌として、シングル盤が発売される前に『ホテルウーマン オリジナルサウンドトラック』に収録されており、そこからシングルカットされた形でのリリース。
どうやら2種類の品番が存在するそうで、筆者が所持しているのはBGDH-1020のB-Gramからリリースされた再発盤。
元々はTODTから始まり、東芝EMIからリリースされていたようで、そちらではジャケットの真ん中ちょい下に折りたたみ用の線が引かれている。
その為、B-Gram盤の方がデザイン的には綺麗。東芝EMIとB-Gramどっちがレアなんだろうか。
タイアップ効果があったのか、次回作よりもチャート順位は良い。
12月4日と、タイトルにある「秋」の終わりごろにリリースされている。『ホテルウーマン オリジナルサウンドトラック』は11月21日リリースでギリギリ秋だが。
01 寂しさは秋の色
WANDSの記念すべきデビュー曲、ではあるが、Being恒例の提供曲でのA面デビューであり、作詞は上杉昇だが、作曲は栗林誠一郎が手掛けた。編曲は明石昌夫。
上杉さんの自伝『世界が終わるまでは・・・』『世界が終わるまでは・・・2』のどちらにもWANDSデビュー時の記述があり、この曲についても書かれているが、大島康祐(大島こうすけ)はレコーディングに入るまで、この曲がデビューシングルとなることを全く知らなかったらしく、怒っていたとされる。
ずっとBeing恒例の提供曲でデビューしたんだなぁぐらいに思っていたが、上杉さんの自伝でオーディション合格からのWANDSボーカリストとしてデビューする過程を読むに、長戸プロデューサーはどういう思惑で大島ソングを抜きにした形でデビューシングルに抜擢したんだろう、とは思う。
Beingのお偉いさん方の間でも上杉昇というボーカリストをどう活かすかで思惑が違っていたようだし(上杉さん自身もロックボーカリストとしてのデビューがどういう形か不透明だった)、そんな中で長戸プロデューサーが目につけ、既にキャリアのあった大島さんと引き合わせて大島さん主導の下で曲作りを行っていた中での、大島さんの知らない所でこの曲でデビューが決まっていた、というのは意図がよくわからないんだけど、一度それぞれの思惑を取り払いフラットな形をメンバー間で認識させ、デビューさせたかったのだろうか。
デビュー曲ながら華やかというよりはタイトルのように哀愁を、そして秋って感じの冷たさを感じるミディアムでスローなガッシリした曲。
ボーカル、演奏共に硬さを感じる感じで、その辺はいかにもデビュー曲って感じではあるが、大島こうすけがイニシアティブを取っていた第1期の中では、編曲大島こうすけではないだけあって異質なサウンド。
大島さんのキーボードは後に見られるダンサンブルさが無く、一人のキーボーディストに徹したような感じだし、柴崎さんのギターも一人のギタリストとして忠実に弾いている感じ。
上杉さんのボーカルに関しては『complete of WANDS at the BEING studio』で「何度も歌いなおした」という旨の記述があり、1995年に出演したラジオ番組(SURF&SNOW)でも「今と歌い方が違う」という発言をしており、苦労してのレコーディングだった模様。この曲だけが、若干ハスキーで声に柔らかさがない。
個人的には、とてもガッシリとした硬いボーカルとアレンジがどうも好きになれず。良くも悪くもデビュー曲らしい初々しさ、たどたどしい感じは貴重なんだが、もっと音に隙間というか柔らかさがあった方が良かったなぁって。メロディーや歌詞は普通に好きだが。
デビュー曲ということもあってか、ベストアルバムでは収録される機会も少なくはなかったが、原曲が収録されたのは『SINGLES COLLECTION+6』のみで、『WANDS BEST 〜HISTORICAL BEST ALBUM〜』ではリミックスが。『complete of WANDS at the BEING studio』ではAcoustic Versionのライブ音源が収録され、上杉昇としてのデビュー曲ということで上杉さんのソロアルバム『SPOILS』においてセルフカバーもされている。
『ホテルウーマン オリジナルサウンドトラック』ではギターソロが違い、ミックスも多少異なる、とこの曲のバージョンは多い。
筆者はLive Acoustic Versionや『SPOILS』でのアコギで歌われているセルフカバー版の方が柔らかくて好き。
後に栗林誠一郎によってセルフカバーもされた(編曲栗林誠一郎)が、アレンジとしてはこっちで聞きたかったと思う。テンポがあがり、演奏も硬くなりすぎずでサビや間奏で盛り上がるしで好みなアレンジ。
上杉昇はこの時まだ19才。作詞は初めてで苦労したと自伝にあるが、かなり詩的な内容で圧倒的な貫禄と表現力がある。タイトルの表現からセンスに脱帽する。寂しさは秋の色、と。
栗林誠一郎セルフカバーにおいても上杉さんの詞がそのまま歌われた。
02 STRAY CAT
PAMELAHとしてデビューする前の小澤正澄が起用されたカップリング曲。彼の作曲家デビュー作でもある。
編曲は表題曲と同じく明石昌夫。
シングル盤がレアでベストアルバムにも収録されていないのもあって、恐らくWANDSの楽曲の中で一番、CD音源を所持している人が少ない楽曲かもしれない。
これまた異質なWANDSソング。
まず、明石昌夫編曲の影響からかイントロがB'zの「GO-GO-GIRLS」ソックリ。
さらに奇妙なのは、小澤正澄作曲なのにB'z「BAD COMMUNICATION」にメロディーがソックリ(特にサビ辺り)。
「GO-GO-GIRLS」と「BAD COMMUNICATION」を足して混ぜてみました、みたいな曲。
さらに奇妙なのが、「寂しさは秋の色」では若干ハスキーな歌声だった上杉さんのボーカルだが、この曲ではまだ初々しさがあるとはいえ、往年のツヤがある上杉昇って感じのボーカルなのである。表題曲とカップリング曲とでなんでこんなにボーカルの感じに差があるんだろうか。レコーディングした時期がズレてた?
これまた大島こうすけらしさの無いキーボード(オケヒをフィンフィン鳴らしてる)に主張が少ないギターとスラップを効かせたベースが押し出たアレンジという、WANDSらしさがない曲でこういう曲調は後にも先にもこの曲だけだったんじゃないだろうか。
また、間奏やアウトロではサックスも吹かれており、サックスが入っているというのもWANDSでは唯一無二ではないか?
シングル盤には演奏クレジットがないが、ベースを明石昌夫、サックスは勝田一樹であろうか。女性コーラスのクレジットも無いが、1stアルバムでも参加していた岩切玲子だろうか。
「夢を捜していたあの頃」だとか「自暴自棄でも 今 歌い続けたいSing my song」だとか、その時の上杉さんの心境を照らし合わせたような歌詞は意味深で、デビュー曲のカップリング曲なのに理想と現実の違いを悔やんだけど後戻りできないんだ、って感じの作詞を採用しているのがスゴイ。この辺は上杉さんの自伝を読むと、さらに感じ取れる。LOUDNESSに憧れて、LOUDNESSと同じレコード会社のオーディション受けたぐらいだし。
それに、カップリング曲でも大島こうすけを差し置いて、しかも全く関与のない他から新人作曲家を採用した、っていうのも大島さんからしたら解せない部分はあったかなって思う。
曲作りはデビュー前から着々と行ってたわけで。しかも大島さんは既にキャリアがあって(しかもそのキャリアがLOUDNESSのサポート)有望株だったろうに。
こうデビューシングルを見ると、やっぱりWANDSというユニットの形が見えないというか、上杉さん、大島さん共に叶わない形でのデビューになってしまったんだろうか、と感じる。
せめて大島さんだけでも叶うような形でデビューしても良かった気がするんだけどね。自伝読んでても、大島さんの気合いは充分だったわけで。
03 寂しさは秋の色(オリジナル・カラオケ)
カラオケ音源。
サビで歌メロをなぞっているキーボードが良い感じ。よく聴けばシャリンシャリンと鈴というかベルみたいな音が入っている、っていうのは新たな発見だった。