WANDS 10thシングル
1995年12月4日 リリース
概要
WANDS10枚目のシングル。
2ndシングル「ふりむいて抱きしめて」以来の完全自作(作詞・作曲・編曲全てをWANDS(メンバー)が担当)のシングル。
前作のシングルから約10か月ぶりのリリース。
01 Same Side
上杉昇&柴崎浩の共作での作曲。編曲WANDS。
何気に柴崎さん作曲ソングが(共作とはいえ)初めてA面として採用された。
上杉ソロにおいてセルフカバーもされている。
旧公式サイトでは「実質上、第2期WANDSが再びポップな方向へ歩み寄らないことを、宣言したことになる。」と評された恐らくWANDSシングルの中で一番ハードなロックソング。
上杉昇&柴崎浩作曲の「PIECE OF MY SOUL」をもっとハードにヘヴィにしたような破壊的ナンバー。
ニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」を意識してWANDSで作るとこうなる、的な風にも、今となっては聴こえる気もするが。
2期WANDSの生ドラムの多くは青山純が担当していたが、この曲に関してはB'zのサポートミュージシャンとして参加していたDenny Fongheiser(デニー・フォンハイザー)が担当している。
ベースは明石昌夫が担当しており、サポートミュージシャンがB'z界隈というWANDSにしては珍しい組み合わせでの演奏なのが地味にポイント。
アコースティックギターで始まるイントロや、その延長線なAメロBメロはどこか安らかだが、サビに突入するとダイナミック且つヘヴィになるメリハリに圧倒される。
歪んだサウンドにディストネーション・ボイスで歌われるサビは正にグランジもしくはオルタナティブロックの領域で、Beingサウンドを感じさせない完全な独自路線というか上杉昇の本性が見えた、といったような印象。
柴崎さんのギターも更にハードになり、とにかく重くかき鳴らしている。
一方でキーボード関係にも変化があり、木村さんの他にシンセサイザーとしてDIMENSIONの小野塚晃が参加。AメロBメロのフルートみたいな音が小野さんシンセかな?
マニピュレーターとして古井弘人(後にGARNET CROWのメンバーに)も参加しており、シンセ含む鍵盤系の音にはこだわっていたのか、試行錯誤した結果なのか、3人もキーボーディストが参加している。
サビ部分でキーボードをフィン!フィン!って叩き付けるように演奏していたりするんだが、爆音サウンドの前には影が薄いのも事実。
というか、編曲WANDSではあるが、WANDSの楽器隊編成の音としてはバランスが悪く、ギターよりもデカくベースの低音も打ち消している、特にサビのドラムの主張が激しすぎる気はする。
上杉昇ソロによるセルフカバーVer.でももうちょっとドラムは引っ込んでるし、シングルVer.のドラムミックスはやりすぎなような・・・。
厭世観に基づいたような内省的な詞にも磨きがかかり、売れ線をにぎわせていたようなJ-POPな歌詞と一線を画している。
内省的なんだけど「限りある人生のレース そこに勝敗などない その胸を燃やすものよ 己のためになかれ」と苦悩と打開とが入り混じった内容の歌詞の生々しさが逆に響くような気がする。
正直、セールス面においてはオリコンチャート2位とはいえ、売上枚数は傾き、WANDS離れの原因となった1曲でもあるが、今となってはWANDSというトップアーティストがグランジロック風をシングル化したのは貴重な機会だったな、と思うと同時に、国産グランジロックは大衆に受け入れられないんだな、とも感じてしまった。
02 Sleeping Fish
柴崎さん作曲によるラフなカップリング曲。
シングル盤にしては珍しく演奏クレジットが書いており、柴崎さんはベースも担当していることが判明する。
A面が怒り、昂ぶりな感情をダイレクトに反映させていたのに対し、カップリングでは脱力というか、無気力な抵抗、とでもいうべきか、疲れ切った、静かでラフなんだけど、ドッシリと重さを感じる楽曲。
シンプルな演奏から、「輝きを少しずつ なくして どうせこのまま すべて沈むのなら」と浮かんで動かず、ただ流されていくだけの魚と同化させたような歌詞は、なんともいえない気持ちになる。
シングルA面B面という機械的な収録とはいえ「Same Side」からの「Sleeping Fish」は秀逸な流れではないだろうか。
上杉さんも気に入っているのか、近年の上杉昇ソロのライブでも披露されているようで『The Mortal』の初回盤や『SHOW WESUGI ELECTRIC TOUR 2018-2019 The Mortal』『black sunshine』など、様々な作品でライブ音源を聴くことができる(自伝の特典Discでも)。
ライブ音源を聴くに、上杉さんのソロライブにおいてはピアノとアコギが目立ったアレンジをして披露される機会もあるようで、ポロポロと奏でられるピアノが、曲の美しさと寂しさを更に際立たせており、これをWANDS時代にもできていたらなぁ、と聴くたびに毎回思ってしまう。