WANDS 3rdベストアルバム
2000年6月9日 リリース
『BEST OF WANDS HISTORY』
収録曲
01 世界が終るまでは…
02 時の扉
03 もっと強く抱きしめたなら
04 愛を語るより口づけをかわそう
05 恋せよ乙女
06 Jumpin' Jack Boy
07 Secret Night 〜It's My Treat〜
08 Same Side
09 WORST CRIME〜About a rock star who was a swindler〜
10 錆びついたマシンガンで今を撃ち抜こう
11 明日もし君が壊れても
12 世界中の誰よりきっと 〜Live Version〜
13 太陽のため息
14 Baby Baby Baby
15 FREEZE
16 DON'T CRY
17 Please tell me Jesus
18 AWAKE
概要と感想
WANDS3枚目のベストアルバム。
2000年3月のWANDS解体に伴ってリリースされたオールタイムベストアルバム。
『BEST OF WANDS VIDEO HISTORY』(VHS版)と同日リリース。
初回盤は限定パッケージ仕様。
「第1期/第2期/第3期のWANDSサウンドをセレクトしたコンプリート・ベストアルバム」と公式で評されているように、1期~3期の音源を交えたベスト盤。
WANDSのベスト盤はメンバー公認・非公認含めて現在、計6枚リリースされているが、ベストアルバムとして一番オススメなのが本作。
本作以降もベストアルバムはリリースされるが、会社(Being)主導の方針が選曲、デザイン等、アルバム(作品)全体の作りに現れているのもあり、WANDSというユニットを知るうえでは、一番ダイレクトに感じ取れると思う。
選曲はシングル曲が中心だが、アルバム未収録なカップリング曲(M14・M15)を始め、アルバム曲も選ばれており、更に未発表音源(M12・M13)も収録(細かく言うとM08・M09もリミックスされていないシングルバージョンとしてアルバム初収録)。
新規ファンの入門ベストとしても、ファンでWANDSを追いかけてきたマストアイテムとしても、どちらの役割も果たせるバランスの良いベストアルバムと言っていいだろう。
Beingという音楽制作集団が手掛ける大ヒットシングルは選曲から外せない、と同時に圧巻のクオリティであることは選曲されたシングル群から理解できると思うが、WANDS主導となって制作された2期末期シングルや3期の楽曲を聴くと、Being系という枠で収めるには勿体ないぐらい、アーティスト独自のサウンドも作り上げられていたように思う。
1期~3期まで、バランスの良い選曲ではあるものの、欲を言えば1期の大島アレンジによるダンサンブルサウンドがM14しかないのが寂しいところ(M03も1期の曲だが大島アレンジではないため)。
せめて2ndシングル「ふりむいて抱きしめて」が収録されていれば、1期サウンドも堪能できたようにも思うが、まぁベストアルバムの選曲は「たられば」かな。
筆者としては、やはりM15の存在が大きく、3期WANDSの良さを発見できたベストアルバムでもあった。
Pickup Songs
13 太陽のため息
本作最大のセールスポイントな2期WANDS時代の未発表曲。
制作時期等は不明だが、ドラムに青山純。ベースに渡辺直樹という生音編成であること。アレンジャーが葉山たけしであることから、『PIECE OF MY SOUL』の頃に制作されていたのかもしれない。
アレンジャー葉山たけしの効果もあるのか、「Same Side」以降に見られるようなヘヴィな感じではなく、ある程度はポップで、キーボードとギターの両立がなされているサウンド。
特に間奏のギターソロ、からのキーボードソロ&ボーカルで曲が盛り上がり、ラストへのクライマックスが訪れる様は、ポップと生音ロックを融合させたWANDSの到達点だったように思う。
後期のグランジ路線を評価する人も多いが、ある意味、2期による生音サウンドでの頂点がこの曲だったのかもしれない。
表上は恋愛ソングを体にした内容の歌詞だが、本質は「プロデュースされている自分」をダイレクトに皮肉った歌詞で中々衝撃的。
上杉昇の歌詞には「太陽」というワードが実は頻繁に使用されている。
特にWANDS時代は躊躇でざっとピックアップしても「Same Side」「DON'T TRY SO HARD」「Crazy Cat」「Secret Night ~It's My Treat~」「…でも 君を はなさない」「恋せよ乙女」「ガラスの心で」など。
Mi-Keに提供した「Please Please Me, LOVE」も。
ほぼアルバム1枚につき1回ペースで「太陽」が登場し、生音重視となってからは頻繁に使用されている。
そんな生音重視の時期に、「太陽」をタイトルに据えた楽曲をレコーディングしていた。
上杉昇による「太陽」というワードは、歌の中の世界観、主人公の心理など歌詞の事象を表すシンボル的役割が大きいように感じる。
恋愛ソングにおける「太陽」の存在は、熱い心の象徴として書かれており、一方で内面に迫った厭世的な楽曲において「太陽」の存在は、主人公の内に仕舞われていた儚さの象徴のように描かれているように思う。
そう考えたとき、「太陽」という存在は、主人公にとっては切っても切れない絶対的に存在するものなんだろう、そういう意味を上杉さんは「太陽」というワードで登場させているのかな、って勝手に思ったりもするのだが、「太陽のため息」というフレーズは、「熱い思い」と「内なる儚さ」が同時に漏れて交わる様なのではないか、と思ったりもするのだ。
だからこそ
「気付けば もはや手遅れで僕は プロデュースされているよ・・・」
という、WANDSのボーカリスト、上杉昇の状態を直球で表した内容の歌詞なのかな、って勝手に読み解いている。
太陽が孤独なのは、上杉昇自身がどちらの太陽の役割にも組せず、WANDSとして音楽性を変えてどちらも保とうとしていたから、なのではないかと。
それでいて、太陽のため息=交わる様、なのかな、と。
歌に登場する「君」と「僕」は、表上では恋愛ソングとして出でくる二人の人物を表しているんだろうけど、WANDSの上杉昇と、一人物である上杉昇というダブルミーニングなのかな、と、個人的に勝手に解釈している(この解釈が正しいのか邪推なのかは、勿論不明なわけだが。あくまで勝手な解釈である)。
こう解釈すると「太陽のため息」と共に「DON'T TRY SO HARD」の
「太陽の中がむしゃらに 走ってた少年が 夢の中 また遊びに来るよ
なくした 宝を抱えて」
と
「Sime Side」の
「太陽は今街中を 血の色に染めて この心とともに焦がす」
「太陽の裏の流星 まるで今の僕はもう 痛みをかばうように 曖昧を装うだけ」
っていう「太陽」の役割がリンクするような気がするのだ。
「DON'T TRY SO HARD」に登場する「なくした宝」を持ったことで、「太陽が血の色」に染まる=ポップ路線の決別、そして「太陽の裏の流星」と。
上杉さんって「太陽」に限らず、「月」とか「空」とか「雨」とか、天文や気象に関するワードが結構頻繁に登場するので、それらを意識して聴くと、新たな発見があるのではないだろうか。