TWINZER 1stシングル
1992年8月12日 リリース
概要
TWINZERの1stシングル。
まずTWINZERについて解説すべきだろうか。TWINZERは生沢佑一のソロプロジェクト(Beingのライナーノーツではソロユニットと表記で生沢さんの公式サイトではプロジェクトと表記)である。
生沢佑一という名はBeingファンなら一度は目にしたことがあるであろう。男性コーラスで数多くの楽曲に参加している他、B'z松本孝弘のソロプロジェクト『ROCK'N ROLL STANDARD CLUB BAND』のボーカルを務めたことや、樋口宗孝企画のトリビュートアルバム参加、遊戯王主題歌の歌唱、そして少し前には妖怪ウォッチでおなじみキング・クリームソーダにZZROCK(ジージーロック)名義で参加するなど、幅広く活躍している実力派男性ミュージシャンである。
Being在籍以前にも弾ともや名義で16歳で1974年にデビュー。その後も歌手としてキャリアがあり、Beingブーム期のボーカリストとしては既にキャリアがあった珍しいタイプだったのでは。
at the BEING studioのライナーノーツには「TWINで2人ボーカルや2人ドラムといった構成があったよう」とあるが、某動画サイトに投稿されているTWINZERがゲストとして登場した「突然バラエティー速報!!COUNT DOWN100」では生沢さんが「サーフボードのツインが2枚から」と発言している。
生沢さんのソロプロジェクトだが、94年に元BLIZARD松川敏也が加入して2人で活動していた時期もあった。
で、話を冒頭に戻すが、今作はTWINZERの1stシングル。
シングル盤のクレジットをよく見ると、生沢佑一の名前が記載されていないので、当時購入した人はボーカルの名前がわからないし、演奏陣もわからない・・・。って具合にならないか、と思うのだが。
01 LEAVE ME ALONE
TUBEの春畑道哉が作曲・編曲を担当。作詞は亜伊林。
デビュー曲は春畑道哉らしい透明感と解放感を兼ね備えた打ち込みポップミディアムナンバー。ポップでメロディアス。シングル盤のジャケットのように蒼さがある。AORっぽくもあり、80年代のシティポップのようでもある。
生沢さんはポップでもハードロックでも歌いこなせるのが素晴らしいのだが、今作での爽やかで伸びがあり、男臭くもある歌声が素晴らしい。
シングル盤には楽器隊のクレジットがなく、アルバムの歌詞カードにも、この曲のクレジットは勝田一樹(Sax)しか書いてないが、全体的に打ち込みで済ましたのだろうか。ギターも打ち込みで処理したのか、春畑道哉が実は弾いているのか・・・。
煌びやかなシンセに雄大なホルンとサウンド自体はFIELD OF VIEWの「君がいたから」のよう。
作詞の亜伊林は三浦徳子の別名義らしく、いわゆる巧い、先生と呼ばれるような作詞家さんが書いているので、詩的な内容なんだけど、「気づいた翼でも 飛べるよ君なら」と伸びやかに歌う生沢佑一の歌声には感無量。
02 SUMMER DAYS
織田哲郎作曲。
出来が良いと判断されたのか、そうでないのかは不明だが、次作(2nd)のシングルの表題曲として早くもリメイク。
歌詞を大幅(作詞は同じ小田佳奈子)に変更。アレンジも若干変わって(編曲も同じTWINZER)、『OH SHINY DAYS』として本作から3か月後にリリースされた。
『OH SHINY DAYS』と違い、音が非常にシンプル。ほぼアコースティックギターだけで若干シンセが鳴っている程度。
編曲がTWINZER名義であるが、これは生沢さん1人で編曲した、ということなのか、TWINZERというユニットとして編曲していたのかは、メンバークレジットがないので不明。
個人的にはこちらのバージョンの方が好き。
『OH SHINY DAYS』はドラムなど音を増やし、上杉昇・宇徳敬子の両名がコーラスとして参加するなどアコースティックで且つポップに仕立て上げたが、この曲の真骨頂は、やはりシンプルな音と生沢佑一の歌声にあるのではないだろうか。というよりこのバージョン聴いた後に『OH SHINY DAYS』が詰め込みすぎてごちゃついてる印象がある。
歌詞も大幅に違っている。
『OH SHINY DAYS』は旅立ちがテーマなのに対し、本曲は君との夏の思い出を、思い返すようなテーマになっている。
夏の記憶を思い返す。潮風や山の匂いが伝わってくるようなノスタルジーな感じの、このバージョンの方が好き。
「不思議なものさ 思い出ってやつは 涙と元気をくれる」って歌う男臭い感じが良い。